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2005年 12月 27日
このように特に「きんぽうげ」は、曲より詞のイメージが先行していた。それが変わったのは、81年、「ヤング・ミュージック・ショー」OAを観てからだ。Tの部屋で、2人で観た。CM以来、初めて観る甲斐バンドだった。1曲目の「きんぽうげ」でマイクを蹴り上げ、弾むように歌う姿から圧倒された。右横で煽るように、軽快にリードを取るギタリスト。初めて観る“演奏する大森信和”だった。ジョン・レノン射殺を報じる新聞記事をカメラに映すシーンもあり、全編が映画のように衝撃だった。以降、「きんぽうげ」は、特別な曲となる。 ここでバンドの話に戻る。合宿で多くの可能性と課題を残したオリジナル・バンドは、作曲レベルは向上しながらも、それぞれの事情もあり、活動は停滞していた。全員が集まることも、少なくなっていた。そこで、Tと相談し、オリジナル・バンドと別に、楽器経験のある旧友に声を掛け、ライブを目的としたカバー・バンドを結成することになった。 全曲、甲斐バンドのカバーとなったのは、Tだけでなく、ベースとして参加することになったメンバーの希望でもあった。地元の青年館を借りての練習。ピアノ以外、貸し出しできる楽器はない。ドラムもアンプも全て自分達で運んだ。エレベーターのない5Fまで何度も往復し、クルマに積み込む。“ボーカルは手ぶらだ”というので、一番往復が多かったと思う。(笑) 本気で歌いだしたのは、この頃からだ。オリジナルと違い、キーを変えるとイメージが違ってくる。特にTは原曲キーに拘った。声を曲に合わせなければならない。まずは「きんぽうげ」から。楽譜にはGmとあるが、このままではライブ・バージョンの躍動感はでない。ハイ・コードで6弦ミュートし、5弦と4弦だけのダウン・ストローク。Tの“耳コピー”力は、驚異的に進歩していた。これが難しい。「~こん夜 限りね~」の「や」のキーが高い。張り上げないと出ないのだ。なんとも情けない声帯だが、これは天性のものだ。努力しかない。駅まで自転車を漕ぎながらの通学路で、大声で歌ったりして練習した。ここでも随分、迷惑を掛けたことだろう。改めてお詫びします。沿道の皆さん、ごめんなさい。(笑) 何回練習したろう。3.・4回だったのではないだろうか。ともかく、友人の友人、というバンドと2組でライブをやることになった。その対バンに、やたら高音の出るボーカルがいて、はじめて歌うことについて刺激を受けた。が、急に音域が変わるはずもなく、声の大きさで勝負していた。(笑) 曲目は、簡単に決まったと思う。オープニングは勿論「きんぽうげ」だ。「きんぽうげ」以外、ありえなかった。 (画像は大阪の靖夜マスターが営む、甲斐バンドをトリビュートしたお店[KinPouGe]店内) #
by soudo335
| 2005-12-27 14:04
| 虜ー私的「甲斐バンド」
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Comments(8)
2005年 12月 24日
一人暮らしに憧れていた。干渉も保護もされない自由な環境。それだけでドラマになるような気がしていた。“決行”は、タイミングの問題だけだった。 先に一人暮らしを始めたのはTだ。実家近くの木造アパート。小さな台所はあったが、トイレは共同・風呂なしだった。家具と呼べるものはカラーボックス1つだけだったが、ギターとラジカセ、そして“自由”があった。よく遊びに行き、泊まったりした。ライブ「100万ドル・ナイト」を聴いたのもこの部屋だった。何度聴いたろう。「きんぽうげ」が始まると、全編聴くまで帰る気になれなかった。「荒馬のように」を読んだのも、この部屋だった。何度読み返したろう。印象的なフレーズは暗記してしまっていた。この部屋でいろんなことを語り合った。家族のこと、将来のこと、バンドの話、卒業して逢う機会の減った恋人の話、そしてクルマと酒とギター・・・、思い出は尽きない。この頃のことを、いつか改めて語ることもあるだろう。 1年弱でTの一人暮らしは終わったが、あの頃の出来事は今日の俺達を形成するうえに貴重なシーンだったかもしれない。 そして、入れ違うように“決行”のタイミングが来る。2駅離れた街のスナックで、住込みのバーテンを紹介され、学費を全て自分で稼ぐことを条件に、事実上の「家出」を決行した。一人暮らしというより、自活と言うべきか。Tの時と同じような物件だったが、グレードは1段下がる。幹線道路に近く、大型トラックが通ると地震のように揺れた。それでも、自分の砦が持てたことが嬉しかった。 調理なんて小学校の家庭科以来だったが、日本料理出身のマスターに教わり、それなりに何とか頑張っていた。入店したての頃、Tが店に遊びに来てくれて「オニオン・スライス」を出した。Tは黙って食べてくれた。(笑)地元では大きい店だったと思うし、ママもハッキリした性格の綺麗な人だった。が、ここで、高校2年の時から真面目に交際していた可憐な女性がいた、と白状しておこう。(笑) 夕方、部屋を出る前に、ノリのいい曲を聴いてテンションを上げる。歩いて5分程で店に着く。まず、店頭の水撒きから。店頭の掃除を先に終わらせて、買出しに。定番素材の他、お通し用に日替りで1品選ぶ。仕込みをしてから店内の掃除。慣れてくると、自分でメニューを考えたりもした。終わるのは朝3時か4時だった。 慣習で日払いだった。3日目のギャラで、やっと「流民の歌」を買った。曲順が大きく変わったのに戸惑ったのを覚えている。やがて毎週行くようになったそのレコード店で、「暁の終列車」というシングルを見つける。これはほとんど宣伝していなかったのではないだろうか?知らなかった。が、これが抜群にカッコいい!以来、出勤前に必ず聴く曲となった。この曲を聴いてから、明け方まで働いていた。 (画像は2本目のギター、あまり使わなかったヤマハFG12-301。12弦です。) #
by soudo335
| 2005-12-24 16:28
| 虜ー私的「甲斐バンド」
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Comments(6)
2005年 12月 21日
30年のキャリアをアンプラグドでリメイクした名盤「It's a Rock」に続く、2005年、 アルバム第二弾は、なんとブルース!そして、ここに蘇るESー335! 1.Got My Mojo Working L guitar=Morris F101 R guitar=Strato Solo=ES 335 2.ノクターン・クラブ All guitars=Strato 3.やせた女のブルース L guitar=ES 335 R guitar=Strato 4.HIP,SHAKE,HIP All guitars=ES 335 5.港からやってきた女 L guitar=Strato R guitar=ES 335 L&R=Morris F101 Vamp melody=Strato Solo=ES 335 6.Ariyama Vaccine All guitars=Strato 7.Sisie Q Basic guitars=Strato 1st solo=ES 335 Slide solo=Strato 8.Little Wing Strato 9.OH! PLEASE All guitar=Strato 10.1954 BLUES Morris F101 ※一郎さん、ごめんなさい!画像・コメント拝借しました。 アルバム、2枚買います!! #
by soudo335
| 2005-12-21 12:39
| 熱狂ー告知&お知らせ
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Comments(3)
2005年 12月 17日
文章を書くのも、想像していた以上にとても苦労していますが、画像を選ぶのもとても大変ですね。ハイティーンの頃の写真を探したのですが、本当に少ないのです。これは育った環境や性格、その後の引越しの多さが原因かもしれませんが。(笑)「写るんです」とかがデビューするまで、カメラは1家に1台の使い回し、高価なものだったと思います。 この画像は、中学3年の修学旅行(京都・奈良でした)にあわせて買ってもらったポケット・カメラです。20歳過ぎまで使いました。これで撮った写真は、当然あの頃の自分もいる訳で・・・捨てられずにいます。壊れてはいないので、フィルムがあればまだ使えるハズです。 甲斐バンドの曲名をタイトルに借りたカテゴリは、vol.3で一度休止して「ブルーレター・ストーリー」に転じる予定でした。1年の締め括りを迎えるこの時期を迎え、「ブルーレター~大森さんへの手紙~」を、時間の経過とともに見つめ直し、もう少し語るべきではないか、と考えたのです。しかし、vol.4以降に進むことにしました。遅筆のうえ文才もなく、語りづらい場面もあるのですが、どうぞお付き合いください。 #
by soudo335
| 2005-12-17 16:16
| 嘘-たわごと
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Comments(3)
2005年 12月 14日
そんな風に、受験を控えていながら甲斐バンドにのめり込み、ギターも下手なリに毎日2時間は弾くようになり、同時にオリジナルを作るのも楽しくなってきていた。やんなきゃイケナイことがあるのに、他のことをやってしまう・・・。今も変わらぬ悪い癖である。 秋も深まった頃、文化祭にTとHの3人で出演することにする。そういえば2年の時はHと二人で出て「君の瞳は10000ボルト」とかをやった。その時“引退宣言”をしたのだが「定年でもあるまいし、何が引退だ!」と無理矢理に出演したのだった。Tの提案の下、全曲オリジナル編成となったのだが、1曲だけカバーをやった。それが甲斐バンド「光と影」になったのは誰の提案だったか、覚えていない。 (写真は、この時のもの。右が惣ど、左はTと思われる。現存する最古のライブ・ショット) やがて、それぞれの「18の春」を迎える。様々な感傷はあったが、音楽に関してはメンバーも固定していて問題なかった。それよりも練習場所だ。校舎の屋上や、放課後の教室が使えないのだ。これは困った。やむを得ず、T やTK(文化祭の頃、Iを介して友人となっていた)の自宅で練習する。地声が大きく、随分と迷惑をかけたようだ。あらためてお詫びします。ゴメンね!(笑) 要するに、T・H・I・TKと5人で「バンド」を目指していたのだ。しかし、卒業を機に、全員集合するのは次第に難しくなっていた。そこで、夏休みに地元の集会所を利用して、合宿練習することになった。 ドラム、ベース等、楽器は各自揃っていた。ミキサーやマイクを知り合いから借りて持ち込む。課題曲はオリジナルの他にビートルズと甲斐バンドのカバーだった。今も残るその時のテープを聴くと、そりゃヒドイもんだが、「ここから始まるんだ!」という想いと、友人達との初めての合宿という壮挙に、気持ちは高揚していた。 練習を始めると、集会所の回りにチビッコが群がってくる。休憩の時、チビッコを抱えたご婦人が話しかけてこられた。「加藤登紀子さんのコンサート活動を応援していて、出演してくれるアマチュアの方を捜している。如何ですか?」というのだ。ビックリしたなんてもんじゃない!どーなっちゃうの俺達?という感じ。「イヤ、そんなレベルではありません!」と言っても、「もう少し練習を積めば」とおっしゃる。数度のヤリトリの末、丁重に辞退させていただいたのは、「若気の至り」というものだろう。 夜になり、イスを並べて眠る。その前に少し酒を飲んだかもしれない。Tが持参したラジカセから音楽が聴こえる。ウトウトし始めた時、ふと心地よいメロディに目を覚ました。流れて来たのは甲斐バンド「この夜にさよなら」。こんな夜に相応しい曲だった。眠れなくなり、起きだして公園に出ると、T以外全員が起きてきた。皆、興奮して眠れないのだ。公園の屋根に懸垂で登ったら、鬼ゴッコのようになって降りられなくなった。星の降るような夜だった。 翌朝、集会所の管理人に、宿泊していたことが露見する。本来、宿泊なんてありえないのだ。以来、「集会所では宿泊禁止!」と大きく張り紙されるようになった。 #
by soudo335
| 2005-12-14 13:38
| 虜ー私的「甲斐バンド」
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Comments(7)
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