by soudo335
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2006年 08月 17日
その年の暮れ、突然、Tが大阪に遊びに来ることになった。仕事の環境は変わったが、バンドは続けていたので、セッションすることになり、スタジオに入った。久し振りに聴くTのギター。やっぱ、違うんだなあ(笑)T以外のギタリストとも数人やってきたが、申し訳ないが、やはり、何か違う。Tは決して器用なギタリストではない。“早弾き”なんてしないし、“即興”とかも、まあ、出来ない。でも、“心に響くギター”なのだ。Tじゃないとダメだ、と痛感したものだ。オリジナルの他、新レパートリーとして、「港からやってきた女」を一緒にやった。打ち上げの後、酔っ払って、大声で「破れた~」や「感触(タッチ)」を歌いながら、新御堂を歩いたね!(笑) あの頃のことを思い出すと、自分がW達にどう思われていたのか、ちょっと不思議だ。きっと、“ケッタイなオッチャン”と思われていたことだろう(笑)そういえば、琵琶湖に泳ぎに行ったり、勤務先でバイトしてもらったり、バンド以外の付き合いも多かったなあ。 やがて、Wとドラムとの、“別離の春”が来た。「卒業するまで」という約束だったのだ。バンド解散を記念して、ライブをすることになった。9月のジョイントライブから親交を持つようになったM君のバンドが、対バンで出てくれることになり、会場は“なんばピア”、と決まった。この、M君の好意には、本当に感謝しています!ありがとう! レパートリーを決める時、ちょっとイカシタことがあった。「港~」をまず候補に挙げたら、Wが即刻、「港~はブルースだし、ベースラインもアレンジしやすいんですけど、この曲はTさんとの思い出の曲として、取っておきたいんです」と言うのだ。“ああ、ここにもミュージシャンがいる!”こんなイカした連中とやれて、本当に幸せな時期だった。最後だし、皆が演りたい曲をやろう、歌い曲があればどうぞ!というオープンな展開の中、最初に決まった曲が「感触(タッチ)」だった。 確か、“PARTY”が始まってスグの頃だったと思う。深夜TVで「甲斐バンド十二年戦争」という番組が放送された。その頃は、TVのない生活をしていたのだが(寮を出てから4年程、そんな状態でした・笑)新聞は取っていて、たまたま当日それを知り、ビデオを持っていたWの家に泊まりに行った。確か、キャベツ入りのラーメンを啜りながら観た気がする(笑)“宣戦布告”と題された解散宣言から、「ラヴ・マイナス・ゼロ」に続き映されたのが、「感触(タッチ)」だった。イントロの後、暫く何の曲なのかわからない程、オリジナル・バージョンとは違うアレンジだった。躍動感溢れるリズム、ボーカリストもギターを持ち、滅茶苦茶カッコいい!エンディングに至っては、まさに「It’s Just Rock’n Roll」というパフォーマンス。これだ、これをやってみたい!が、9月のライブには、間に合わなかった。 11月になり、「THE 甲斐バンド FILM」という、“PARTY”と“黒澤フィルム・スタジオ”の一部を映画にしたものが上映された。後にリリースされた「Here We Come The 4 Sounds」とは、前半のアングルが異なるように感じる。映像なのに、「きんぽうげ」から総立ちになる中、続く「感触(タッチ)」では、その抜群のパフォーマンスを再確認した。今度は間に合うだろう!そんな経緯だった。 <‘87.3.1 なんばピア セットリスト> 1.勇次 with M 2.愛の世代の前に 3.雨に泣いている 4.MIDNIGHT PLUS 1 5.死んでるみたいに生きたくない(vo.はkey) 6.感触(タッチ) 7.Sunset Blues 8.どっちみち俺のもの 9.風に吹かれてみませんか(vo.はG) 10.ポップコーンをほおばって 11.きんぽうげ オーラスを「きんぽうげ」で締める、という夢を実現し、“大阪バンド”は解散する。この時のライブは、実は映像がある筈なのだが、メンバー共々、行方不明となってしまった。 そして夫々が、夫々の道を進む中、紆余曲折を経て、「東京への転勤」というカタチで、大阪を離れることになる。それは、甲斐バンドが、“GOLDEN BEST SELECTION”と銘打ち、“極道渡世の素敵な面々”オリジナル・サウンドトラック「ちんぴら」をリリースした、昭和63年の夏のことだった。
by soudo335
| 2006-08-17 11:57
| 虜ー私的「甲斐バンド」
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Comments(7)
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soudo335 at 2006-08-17 12:04
‘87年、大阪城ホールでの“ストレート・ライフ・ツアー”にも参戦しましたが、それはまた、別の機会に。
大阪を離れる時に作ったオリジナルが、「大阪に置いてきた手紙」という曲です。この2月、はじめて[KinPouGe]さんにて歌わせていただきました。感無量でした! “大阪バンド”の皆、どうしてる?俺は今でも甲斐バンドを聴き、歌い、語っているよ!
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にゃんまる
at 2006-08-17 21:56
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私もいましたよ~~♪毎日ホール♪
またまた、同じ空間にいたんですねぇ。 まるで生で観てるような、盛り上がりでしたね。総立で・・・ 「大阪バンド」観たかった!なんでビデオなくしちゃうのぉ~残念!
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とみちゃん
at 2006-08-18 00:55
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突然やってきた”甲斐バンド解散!”の衝撃は、僕にとっては決して小さなものではありませんでした。ソロになって初のアルバム”ストレート・ライフ”を聴いた時、「ああ、甲斐バンドってホントに解散したんやなあ」と感慨にふけったものです。この頃、甲斐さんが”さんまのまんま”に出演したりもしてましたね。確かビデオに撮ってあるはずなんですが...
やっぱり人それぞれなんでしょうが、局長同様、僕も今でも甲斐バンドを聴き、唄い、語ってます。
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惣ど
at 2006-08-18 13:11
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にゃんまるさん♪、どーもです!またまた、同じ空間にいたんですねぇ。光栄です!(笑)「THE 甲斐バンド FILM」、本当、総立ちで、驚きました。甲斐バンドの凄さを、再認識しましたね!
ビデオは、難波の街並みから”なんばピア”を映して、ライブ前のコメントも入れた、中々凝ったものだったのですが、メンバーが所有していました。メンバー共々、行方不明なのです・・・。
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惣ど
at 2006-08-18 13:29
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とみちゃん、サンキュー!”甲斐バンド解散!”の衝撃は、私もvol.15&16で語っていますが、”本当に解散したんだ”、と自覚したのは、大阪城ホールでの“ストレート・ライフ・ツアー”に参加した時です。「冷血(コールドブラッド)」 の時、大森さんがいないとこうなんだ、解散ってこういうことなんだ、と感じました。
”さんまのまんま”、観たよ!その前の、「ジャパンエイド」も観た。明け方のオンエアだったね。一郎さんが、ずっと背中を向けてプレイしていたのが、妙にカッコ良かった。ビデオとかはないけど(TVもないけど・笑)、覚えてるなあ。 「それぞれの甲斐バンド」、語っていく中で、少しでもシンパシーを感じてくれたら嬉しいな。この後も、よろしく!
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のり
at 2006-08-21 13:00
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この人じゃなきゃダメ!っていう相手がいるのって幸せだよね。
双方にとってね。
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惣ど
at 2006-08-21 15:46
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のり姫、サンキュー!ウン、この前の博多行きの時、奴も同じようなこと言ってたね。
甲斐バンドにとって、それはやはり大森さんだったのでしょう。
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